ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE -DAY19-

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ニューヨーク州の森の中のトラックストップで眼を覚ます。なんだか疲れていたのでこの日も二度寝をする。大学時代から友人であるきえさんの生家がニュージャージーにあることを思い出し、リビングストンという彼女の生まれた街へと向かってみた。ニュージャージー州といってもニューヨークの都会から少ししか離れておらず、彼女が小さい頃ニューヨークへと車でよく出かけたという話もうなずける。その街はどこにでもありそうな平和で静かな街だった。彼女はその後その近郊の街を何度か引っ越してから、日本へと移ってきた。アメリカ郊外の街(ここでは更に白人が多い街と言ってもいかもしれないが)はどこも似たような雰囲気がある。いわゆる映画に出てくるような広い道路と街路樹、ペンキ塗りの立派な木造住宅が並ぶ静かな住宅街。教会、ウォルマート、ガススタンド。紋切型のように見えるその町並みはどこか閉鎖的にも感じられる。表立って何か差別的な表象があるわけではないのだけれど、気持ちのいい日差しや風の裏側に何かが潜んでいるようにも思えてくる。これはアメリカの映画や小説の見過ぎなのだろうか。

ヨ・ラ・テンゴの生まれた街であるホーボーケンへと向かう。ハドソン川を挟んでニュージャージー州とニューヨーク州が隔てられているのだが、そのニュージャージー川の街がホーボーケンだ。川の向こうにはニューヨークの町並み、例えば有名なビルやホイットニー美術館が遠巻きに見える。ここに来る途中に高速道路からそのビル群が見えたときにはEmpire state of mindが勝手に脳内に再生されたのだった。ホーボーケンに行く途中ニューアークという街でガスを入れるために立ち寄ると、いい感じに廃れた雰囲気の街だった。クリーブランドやニューヘイブン、ハートフォードに似たような雰囲気。ここはジャージー・ボーイズに出てきた街で、治安がそこまで良くないことが見て取れる街だ。運転手はみんな気性が荒い。ただ、郊外の落書きを見ているとなぜだかその街の個性というか熱量というか、行き場のない創造性が溢れているようで心地が良かったりする。

ホーボーケンにつくと緊張が走る。この付近の運転の難しさは本当にひどい。狭い道に両側にびっしりと路駐されていて何も見えず、走り抜けてくる子供や自転車に気を配っていないといつ誰かを轢いてもおかしくはない。駐車場を探すのも一苦労だった。車から降りてハドソン川を散歩する。夏も終わりかけているというのに暑くてすぐに汗だくになる。公園で水着でくつろぐ人たちもちらほら。だいぶ開発されて真新しいビルが立ち並んではいるけれど、もともと港町だったその街の片鱗は各所に残されている。よく、ニューヨークを舞台にしたドラマや映画で人々がアパートの前の階段にたむろしているシーンを見たりするけれど、川を一本挟んだここホーボーケンでもその光景は見られ、これまで見てきた田舎の風景から一変、一気に都会の雰囲気に包まれているように見えた。川沿いのビルを眺めながらテリー・リチャードソンのWTCの写真を撮っていたのを思い出す。川の向こう側にあるホイットニー美術館へ地下鉄を使っていく。まさか川の下を地下鉄が通っているとは思わずに、間違えてフェリー乗り場へと行ってしまった。なんて気の利いた交通機関をもっているのだろうと感心したのもつかの間、意外と廃れたPathという地下鉄を使って向こう側にいった、ニューヨークへと降り立つと、川の向こうに見えたホーボーケンと変わらない町並みが続くが、心なしかより人が多いように感じられる。時間を微妙に持て余していたので近くにあったホイットニー美術館へいき、足早に鑑賞をしていく。もっと時間があればゆっくりと見れたのだけれど、やはりここでみれてよかったと思うのはエドワード・ホッパーの絵だった。数枚しかなかったけれど、僕にとってのニューヨークのイメージの一端を担っているのは彼の絵であることは間違いないことを確信した。彼の家はニューヨーク郊外にあるらしいので行ってみようと思う。

そのあと、少しだけハドソン川沿いのニューヨークの街の中をうろついてみる。アメリカといえばニューヨークというイメージがあるし、多くの映画や写真、小説の舞台にもなっているし、間違いなくアメリカの中のアメリカと言える場所だろうと思う。ただ、長い間旅を続けてきた人間にとっては少し落ち着かないというか、どこに居場所があるのかわからないような気もしていた。様々な人種が忙しく、エネルギッシュに動き回っている。よく人にも話しかけられるし、街中がなんだか騒がしい。この街を知るには時間が足りなさすぎるけれど、バーやレストランで楽しそうに過ごす人たちの風景を遠巻きに見ているとそれだけでも都会に来ているような気持ちになった。そんな人達を横目にサブウェイに入り、どこでも味が変わらないサンドイッチを急いで頬張る。もし大渋滞に巻き込まれてしまったら今日は寝るどころの騒ぎではない。

サブウェイで腹を満たしたら急いでホーボーケンに戻る。ロングアイランドのサービスエリアへ向かおうと車に乗り込むがときは既に遅かったようだ。土曜日の夜であることを考慮したとしても、これほど酷い交通渋滞に巻き込まれたことは人生初めてだった。ホーボーケンからニューヨークに抜けるには海中トンネルを抜ける必要がある。ナビゲーションに従い、その入口にたどり着くと10車線はあるだろうか、料金所へと続く道路は本当に広かった。そのうち現金での決済を受け付けるのは端の2車線だけなため、渋滞で混雑する道の中を左端から右端まで何度も車線を変更しながら移動しなければ行けなかった。周りの人達も自分の前に何ぴとたりとも入れさせるわけにはいかない、とでも言うようなこわばった表情で距離を詰めるものだから、なかなかうまくいかない。自分でも、このミッションを完遂できたことを軽く誇りに思えるほどだ。料金所で$15払い(高すぎ!)、10車線くらいあった料金所から、トンネルにいくために2車線まで車線が減る。漏斗にでも入れられているかのように車が左右前後から迫ってきて、なんとかトンネルに入るがそこはもう更に酷い大渋滞で、数マイルを通過するのに一時間以上もかかった。クラクションはあちらこちらから鳴りっぱなしだった。ニューヨーク市街からハイウェイに乗るために、なぜかナビゲーションはダウンタウンを通る道を支持していた。土曜夜のダウンタウンはまさに地獄。路上には派手な服を着たパーティに今から行こうというような若者たちがたむろし、それを制しようとする警官やパトカーがあちらこちらで道を塞いでいた。細い道の両側には当たり前のように路駐の車がびっしりとすべての場所に並んでいるし、その脇を恐る恐る進んでいる更にその狭いスペースを縫うようにロードバイクがびゅんびゅんと何台も駆け抜ける。信号が青になっても渋滞がひどすぎて前に進めないし、進めないのでその場で停まっていると何台も後ろからクラクションを鳴らされる。細い道へといざ入ろうというときには自分の左右からヒップホップを爆音で鳴らした黒人のカップルが乗ったマスタングやらダッジやらそんな車が平気で割り込んでくる。渋滞でフロントガラス越しに見える情報が死ぬほど多くて神経をすり減らさなければいけないというのに、なぜこんなにもこの街の人は他人やルールに関して寛容ではないのだろうかとほぼ泣きかけのような状態で僕のメンタルはボロボロだった。どうにかこうにかして、ニューヨークの町中を抜けると、気がつくと2時間くらい経っていたようだった。ハイウェイもハイウェイで、相変わらず混んでいるし、道は細いし暗い。分岐の看板や出口のサインは見づらく、交通量も多いから車線変更もままならない。一度やたらとクラクションを鳴らされると思ったら危うくバイクのお兄さんを弾き飛ばすところだった。せっかくホーボーケンにきたのだから、ゆっくりとヨ・ラ・テンゴでも聴きながら夜景を見ながらドライブしたいと思ったのだけれど、そんなことは叶わず、一体何を聴いていたのかさっぱり思い出せないほどに運転に集中していた。

サービスエリアにやっとの思いで辿りつき、駐車所に車を停める。暫く車内でハンドルを握りながら息を落ち着ける。車の外の出て深呼吸をしてトイレを済ませる。寝る前にタバコを吸っていたら、裏手の森から鹿が出てきたので、かじっていたミカンを投げるとそれを一口で食べてどこかに去っていった。ロングアイランドのサービスエリアはもはやニューヨークではなく、どこか遠い田舎のようにも感じられた。明日はこの半島を端から端まで行ってみようと思った。

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