SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY16
トラックストップのあるペーコスという場所から荒野をひたすらに進んでいく。最初にたどり着いた場所はフォートストックトンという小さな街。この街、といっても大きな道路の両脇にいくつかのお店やモーテルが並んでいるだけなのだけだ。大学に入ってから映画を見始めたばかりのときに、まず見るように薦められたのがこの映画で、それは自分の人生に大きな影響を及ぼしていたと思う。荒野のランドスケープ、あばら家、モーテル、電話ボックス、ハイウェイやそこを走るクラシックカー。この映画には当時僕の知らなかった、というよりも意識して見ることのなかった様々なアメリカ的記号が満ち溢れていた。ライ・クーダーのスライドギターの哀愁、ナターシャ・キンスキーの美しさ、そして印象的な赤いキャップを被るハリー・ディーン・スタントンの素晴らしい演技がそれを彩ることで、この映画に映る風景、そして情景こそが「正しい」ものだと思って疑わなくなってしまった。年を経るにつれてこの映画を何度も何度も折に触れて見直すと、当たり前なのだけれどこの映画が表現することが単にアメリカ的な憧憬だけではないこともわかってくる。この映画や監督であるヴェンダースに関する批評、彼の出した写真集や他の映画を見るにつれて、更にこの映画についてどう見るべきなのかも徐々に定まってくる。その中で一つ思うのは、やはりヴェンダース自身もアメリカへの憧憬に囚われているということだった。彼が意識的にそうした記号を用いるのも、そのあこがれであり、そのあこがれは自身がドイツに生まれていることから生ずるコンプレックスであるように思えた。そして僕が今彼が残したアメリカ的な記号を追いかけてはるばる海を越え、テキサスの僻地の何もない街へと訪れているのは偶然であると同時に必然でもあるように思えてならなかった。なぜなら僕も彼の映画を見た時に自身が日本しか知らないことへのコンプレックスに苛まれ続けていたからだ。『パリ・テキサス』ではこのフォートストックトンの大通りから赤く怪しげに光るエル・ランチョ・モーテルのネオンがフロントガラス越しに見え、そしてそのモーテルに入っていくという印象的なシーンがある。時間も天気も違うけれど、僕も同じように街の大通りからかつてその憧れ続けたモーテルのサインがあった場所へと進んでいった。当然だけれど、映画の中で使われたモーテルは既に別のモーテルへと変わっていた。サインも跡形もなく消え去り、比較的新しく見える味気のない、光りもしない別のサインへと変わっていた。わかってはいたけれど、この光景をみるのは堪える。その隣には映画の中で使われていた三角屋根のガソリンスタンドとキオスクだった場所が残っていた。残っているのはその形だけで、建物自体は既に使われておらず荒廃していた。映画の中で使われたランドスケープは書き換えられ、失われ、そんな景色がまるでなかったかのようにただ自然にそこにあった。微かに残るその面影はより哀愁を掻き立てるばかりだった。車から降り、そのモーテルやガススタンドへと近づき時間をかけて眺めながら、頭のなかで映画でみたシーンを何度も繰り返し再生した。そして何度も繰り返しモーテルの前を車で通り過ぎた。一つ仮説が立てられるとすれば、この場所は実際に彼が訪れた場所なのかもしれないということだった。旅の中で、ある雨の日、夕暮時に偶然この街を通りかかった彼が見たのがあの赤く美しく光るエル・ランチョ・モーテルの光だったのかもしれないとそう思った。長く孤独な旅の中で、その日たどり着いた場所がきっとこの場所だったのだと、そう思うことにした。
フォートストックトンから少し移動したところにはマラソンという街がある。この街にあるマラソンモーテルという宿は劇中でトラヴィスが最初にたどり着くモーテルだ。劇中ではただの小さなモーテルだけれど、今では立派な門構えの大きなモーテルになっていた。この街自体がビッグベンド国立公園へ行く途中の経由地として商業化されていることもあり改築されてしまったのだろうか。当時の面影はその名前以外には残っていなかった。おそらくこの場所とフォートストックトンが映画の中で使われた理由があるとしたら、ビッグベンドで倒れたトラビスが最初に行く街は歩みを止める場所としての「マラソン」という場所で、そしてそこから車で移動できる範囲内で休める場所があるのがフォートストックトンなのだろう。現実的に考えてもそこまで無理のある距離ではない。劇中に出てくる場所はおそらく彼の旅の道程の中から、様々な理由で、時にはその街の名前によって、選ばれたりもするのだろうかとふと思った。
そこから90号線をひたすら東へと進んでいく。少し前にあった大型の台風のせいで、道路脇のガススタンドや家がめちゃくちゃに壊されていて、キープアウトのテープがそこら中に張り巡らされていた。太い柱がひしゃげてしまったガススタンドは屋根が地面に突き刺さるように傾き、家は全ての窓が割れて壁には穴が開いていた。廃棄された車は錆びつき、車内のシートはボロボロに破れバネが飛び出していた。そうした廃屋を見つける度に影のほうに車を停めて中を除いてみた。割れた窓から見える廃屋の中には、放置されたソファやマットレスが乱暴に放置されていて、土埃を被って汚れて入るのだけれど不思議な美しさが漂っている。薄汚れた窓は優しく光を取り込んでいて、誇りが舞う室内を美しく照らしている。人がかつて暮らしていた名残がある部屋というのはより美しく見える。キッチンには使い終わったカラフルな皿やフォーク、テーブルには誇りを被ったシリアルの箱、読書机の上には読みかけの本が、電球の切れたランプには蜘蛛の巣が。歩く度に床はキシキシと音を立てる。今では誰も座っていないロッキングチェアは肘のところが擦り切れていて、かつて人が使っていた形跡が見える。あまり長居すると誰かに眼を付けられかねないから、早々に退散して次の街を目指して進む。
テキサスの大地は相変わらず表情を変えない。いつまでも同じ風景が淡々と続いていて終わりが見えない。トラヴィスが水タンク一つ持って一心不乱に駆けたのがこのテキサスの大地だとしたら、僕なら絶対に3日で発狂する。街もどんどん小さくなっていく。ガススタンドとジェネラルストアがあるだけの場所を街と呼んで良いのかわからないけれど、地図上に書いてある町の名前は申し訳程度にしか思えない。ガスを入れるために小さな商店の中に入り「すみません!」と声を出すと奥の方からやれやれと言った様子で白髪のおばあちゃんが出てくる。こういう雰囲気は昔自分が駄菓子屋に行った時の様子に少しだけ似ている。「どんだけ入れんの?」「20ドル分で」「あんたこんなところまで来て何しに来たの?」「旅をしてるんです」というもはや定型化したやり取りをしながら、給油が終わるまでの3分ほどの時間を潰す。ついでに冷たい瓶のコーラを買って栓抜きで蓋を開けてもらう。気温は25度はあって、日差しも強い。空気は乾燥していて、そんななかで飲むコーラの美味しさというのはまた格別に感じられる。もちろん自分で買ったコーラも車の中には20缶ほど残っているのだけれど、それとはまた違った味わいに感じられてくる。日が落ちるまでひたすら東に進み続けると、徐々に都会に近づいてくるのがわかる。見慣れた郊外の雰囲気へと変わり、ハイウェイは車線が増え、サンアントニオと書かれたサインが見えたころにはあたりはロサンゼルスやサンフランシスコと変わらないくらいの大都市の様相へと変わった。オースティン、ヒューストン、そしてサンアントニオ。この3つの大都市がテキサスの中心部にあるが、この周辺とそれ以外では天と地ほどの文化的、そして経済的な違いがあるように見えた。高速道路は仕事終わりの人々の乗る車で混雑している。ビルボードや車のテールランプがまばゆくて、90マイル近いスピードでハイウェイを走り抜けると光が洪水のように眼の中に飛び込んでくる。その光の中に「IN−N-OUT」という文字が出てくるのを見逃さなかった。急いで車線を変更し、最寄りの出口を探してハイウェイを降りる。そのままスムーズに交差点でUターンを決めたら、あとはその光に目掛けて進んでいくだけだった。何日ぶりかのIN−N-OUT Burgerは涙が出るほど美味しかった。カリフォリニア以外の場所でこの味に出会えるとは思っていなかっただけに、その感動も大きい。麻薬的に美味しいシェイクを飲みつつ、モーテルを取っておいたオースティンの街へと向かった。明日はかつてダニエル・ジョンストンも過ごしていた、オースティンの街を一日かけて見て回ろう。