ESSAYS IN IDLENESS

 

 

Back Then

大学の頃から付き合いがある、今でもとても仲の良い友人たちがいる。振り返ってみるともう20年近くの付き合いになる。時の流れの早さは歳を取るごとに早くなる。20代の頃から30歳くらいまでの間、下手すると週に2~3回は顔を合わせ、渋谷の南平台のデニーズのドリンクバーで夜明けまで粘るような、そんな仲の友人たちである。人生の同じような時期に燻ぶり続け、大学の他の同期のように輝かしい道を歩けなかった者同士、肩を寄せ合いながらいつか来る輝かしい日々を祈った。そんな日はまだ来ていない。
北海道に移住を決め込むのに一番のハードルがあったとすれば彼らに会うことが難しくなることだった。幸か不幸か、僕が移住を決めたタイミングはコロナ禍真っ最中で、お互いの家に行き来したり、いつも一緒に行っていた店でダラダラ過ごすことはかなり少なくなっていた。いつまで続くかわからないこのコロナ禍は、いっそのこと移住をしても良いのではという決断を後押しした。自分への言い訳として、距離はそこまで問題にはならないだろうし、関係性は変わらないはずと信じて移住の意志を固めた。

北海道に移住して数年経ち、彼らが北海道へ来ることが決まった。何をするか、どこへ行くかはあまり決めていなかったが今回はとにかく南へ行くことにした。その時、思わず昔の旅を思い出した。

僕がアメリカに住んでいた頃(2016~17年頃)、滞在期間の最後に彼らがアメリカに来て、オレゴン州ポートランドからカリフォルニア州のロサンゼルスまで南下する2週間ほどのロードトリップをしたことがあった。だから、今回も南へと行くことに(勝手に)決めた。もちろん、その時もほとんど予定は決めていなかったし、宿も毎日その日の夕方に取るくらいのものだった。彼らは目的地がどこだろうが、途中のアクティビティが決まってなかろうが、ほとんど文句は言わない。同じ車の中で同じ景色を見て、音楽を聞き、くだらない話をし続ける。その土地の建築物を見てインスピレーションを得たり、この街がどの映画に出てただとか、空気の色や風の匂いがどうだとかそんなことを話したりする。有名な料理店やカフェ、景勝地に行かなくても、眼の前にある風景をつぶさに観察して面白さを見出し、自分自身の物語にできる素晴らしい友人たちだ。かくいう自分も旅の予定を決めるのは苦手だし、どちらかといえば嫌いでもある。旅行の前にタイムスケジュールを決める旅行はできるならしたくなく、終わりと始まりの場所だけ決まっていれば、途中はだいたいなんだって良い。今回の旅程としては札幌から日本海側に出てからひたすら海沿いを南下。決めていたことは僕たちの好きな三宅唱監督の『きみの鳥はうたえる』のロケ地になっていた函館の街に訪れることと、洞爺湖畔でキャンプをすることだけだ。

初日は新千歳空港で彼らをピックアップし、そのまま海に抜けるように北へ。夕方頃に小樽についた。レンガ倉庫には目もくれず、夕暮れの海と古びた建物を見ながら歩いた。せっかくなので海鮮でも食べようと思ったけれど、どこのお店も予約が一杯で入れないとのことだった。道端で出会ったおじさんに話を聞いたところ、オーバーツーリズムによって地元の人が寿司屋に入れなくなってしまったため、満員でなくても満員と言っているところが多いということだった。地元の人たちに配慮したローカル店の計らいに納得しつつ、4軒目くらいに入った寿司屋でようやくその日の晩飯にありつくことが出来た。

二日目は小樽を出て積丹半島にある神威岬に寄り道をしつつ、函館まで足を伸ばした。

神威岬の先端まで行くのが面倒だから、という理由で一人は途中で脱落。残った自分ともう一人で先端まで行く。この日自分たちの思い出に残っているのは神威岬から一望できる積丹ブルーではなく、途中で立ち寄った町中華だった。夏で気温も高いのに店内に冷房はなし。店内は電気がついておらず昼間だというのに暗く、茹麺機から立ち上る熱気が籠もりに籠って蒸し暑い。油で若干ベタついたカウンターにどんと出される、これでもかと化学調味料で味をつけた(スープを作ってない)罪深い昔ながらの味のラーメン。一杯700円。一口食べるとケミカルな旨さが体を突き抜けていく。無言でラーメンを啜り続け、完食。最後にセルフサービスの水を一杯飲み干し、汗だくで店を出る。最初に友人から出た言葉は「調理麺としては至高ですね。」だった。きっと数年ぶりに会う友人を連れて行く場所ではないことは確かだが、あの味と店の雰囲気を今でも思い出すことがある。

そのまま南下。途中、北海道の知人から聞いた「札幌の人はラッキーピエロを食べるためだけに函館に行く」という言葉を信じて、最初に見かけたラッキーピエロへと訪問。アメリカっぽいものが好きすぎて、アメリカにいるときには3人でハンバーガーやタコスしか食べないようなメンツである。定番メニューのチャイニーズチキンバーガーとラキポテ、コーラを頼み調子に乗って食べ続ける。時々忘れてしまうが、自分たちは食が細く胃腸も弱い。結果、圧倒的なカロリー、塩分、油分のキャパオーバーで胃もたれを起こし、その場で小休止をしなければいけなくなった。

函館に着いたのは結果的には夕方になってしまった。車をホテルに停めて繁華街をウロウロしつつ、街の空気感を掴んでいく。友人が三宅唱監督のしていた話をしてくれたのだが、函館の街の空の色はどうやら東京都は結構違うらしいということだった。記憶から薄れている東京の夕焼けを思い出したが、確かに違う気がする。なんなら、住んでいた札幌の街とも違うような気がしている。この3人でアメリカ旅をしていた頃、カリフォルニアのパームスプリングスに行ったことがある。その時も夕焼けの街をカメラ片手に歩いたものだが、その時の街の光の色は一面がピンクだった。3人ともその時のことを思い出していた。
函館は広く、徒歩だけで街を巡るのは少々面倒くさい。車に乗り直していい店を探していたところ、遠くから花火の音がした。偶然にもその日は函館の海で大きめの花火大会がやっているらしかった。急遽海岸線に向かい、車を停めて砂浜で花火を見た。お金をほとんど持っていなかった20代前半の頃、なけなしの金でレンタカーを借りて、海で手持ち花火をしたりしたことを思い出す。今も相変わらずお金があるとは言い難いのだが、それぞれ30歳を超えてしまったけれど、好きなものや感動するものは殆ど変わらない。僕らはもともとアメリカという国の文化に感化されすぎているので、花火を見ると独立記念日だったり、映画のワンシーンだったりが勝手に脳内で再生されてくる。テーマソングはアニマル・コレクティヴの『fireworks』かも知れない。そう思っていると勝手に誰かがその曲をかけ始めてくれる。何も言わずとも同じ感覚で花火を眺められるというのは、ぐっと来るものがある。

三日目は早めにホテルを出て、噴火湾を望みながら北へと向かった。思い返せば五稜郭も高台からの夜景も、観光地らしいところには一つも行っていない。一応北海道南部最大の都市を訪れたという記念だけがある。
途中どうしても食べさせたかった回転寿司屋に立ち寄った。どう考えても北海道の回転寿司のクオリティは東京のそれとはだいぶ違うぞ、ということを知ってほしかった。まずはホタテを食べて欲しかったので「生ホタテ」を注文したところ、「冷凍になりますがよろしいですか?」と言われた。なら生って書かないでくれよ、、、と思いつつ、食ったら普通にめちゃくちゃうまかった。
道中、眺めの良さそうな場所に車を停めて写真を撮ったりする。そういうことに関しても誰も文句を言わないし、楽しんでくれている。そんな調子で寄り道をしまくり数時間運転した後、ようやく洞爺湖へと到着。ラムヤートというパン屋へ行き、湖畔で食べるためのパンを買う。買い物がてら店主に話を聞いた。快く会話をしてくれて、店を閉めたら今の季節は湖で水浴びをしていることや、彼の息子が素敵なバンドをやっているということを聞いた。

店主の自然体な振る舞いや生き方に触れるうち、ここで暮らしている人たちはだいぶ精神的に豊かなような気がした。無論、ここで商売をするというのはとても大変なはず。しかし接客している間にその大変さや苦労というものを僕たちにたいして微塵も感じさせることはなかった。働くことと生きることが接続されているから、生き生きと自由であるように感じられたのかも知れない。誰かと競うのではなく、自分の人生にしっかり向きあい、誠実に生きている証拠なのかもしれない。ちなみに、ラムヤートの石窯で焼いた自家製パンはめちゃくちゃうまい。その後にすぐ近くにある書店に行き、奥山 淳志さんの『庭とエスキース』を買った。

ある程度日が傾いた後、キャンプ場にチェックインをしてバンガローに寝袋を敷いた。ホコリやら虫やらがたくさん積もっていたので、備え付けの箒で掃除をした。夕飯までの時間を潰すためにキャンプ場のすぐとなりの砂浜へ行く。パン屋で水浴びの話を聞いたので我々も水浴びがしたかったが、誰も水着も持ってきていなかった。友人のうちの一人が周囲に誰も居ないことを確認してからおもむろにパンツ姿になり湖へダイブした。僕は腿まで水に浸かり、洞爺湖の水の冷たさを感じた。一人は手持ちのビデオカメラで水際ではしゃぐ友人を撮影していた。このバランス感が心地よかった。この感覚は昔アメリカを旅していたときに立ち寄ったヘンリー・ソローの暮らしたというウォールデンポンドの雰囲気に少し似ていた。

晩御飯には近くのスーパーで買ったジンギスカンを選んだ。僕は北海道に来てから初めてジンギスカンを食べたのだが、その時、今までの人生でジンギスカンを食べてこなかったことを心底後悔した。羊の肉は臭い、という先入観から実家ではジンギスカンが出てこなかったのだが、北海道で初めて食べたジンギスカンは一切の臭みがなかった。食べた瞬間に行ったこともないモンゴルの草原が浮かんでくるような、そんな感じだ。加えて野菜もたくさん食べれて油も落ちるので、食べても胃に負担がかからない。焼肉屋に行くとだいたいその後にお腹を壊す自分が、翌日も健康だったので、きっとジンギスカンはめちゃくちゃヘルシーなはずだ。そんな思いから彼らにも北海道でジンギスカンを食べてほしかったのだ。冷凍ではあるが適当な野菜と一緒に食うジンギスカンはうまい。

夜も更けて涼しくなると、焚き火をしながらダラダラと過ごしているのが心地良い時間がやってくる。昔から彼らとキャンプに行くと焚き火をしながら深夜までコーヒーを飲むのが習わしになっている。上を見上げると死ぬほど星が出ている。ふと昔のキャンプの思い出が蘇ってくる。無人のふもとっぱらキャンプ場で発動機をレンタルし、映写機を持ち込んで8mmフィルムの上映をしたり、ポータブルレコードプレーヤーを持ち込んで静かに音楽を聞いたり、せっかく作ったタコスを地面にぶちまけたりした。もともと僕たちはアウトドアではないし、どちらかというと都市型の生き方をしてきた。なので、アウトドアともインドアとも取れないようなことをキャンプに持ち込む癖があった。

「で、お前はいつ東京に戻ってくんの?」

と言われたけれど、まだまだやりたいことが残っていたから、しばらくは戻りそうもないと答えた。(これを思い出しながら書いている38歳現在、まだ東京には戻っていない。)

最終日は飛行機の便の時間があるので、新千歳までまっすぐに向かった。ウトナイ湖の道の駅で発着時間が近づくまでダラダラとした後に空港へ。例によってダラダラしすぎて時間がギリギリになってしまったので、別れ際はいつもとてもあっさりとしている。まぁ、会おうと思えばいつでも会えるから良いだろうと思いつつ、3人で車の中で聴いた曲を聞きながら自宅までドライブをして帰った。

アメリカを3人で旅をしていた頃、不意に流れて涙が出てしまった曲がある。Clap Your Hands Say Yeahというアメリカのインディーズバンドの「In This Home On Ice」という曲である。僕たちが所属していた音楽サークルではそのバンドが結構流行っていて、特に1st アルバムは100回は聴いていた。しかし未だに歌詞もタイトルの意味もまったくわかっていない。その曲を聞いたときに大学時代の様々な思い出がフラッシュバックしたことと、車窓から見える夕暮れと美しいギターの音色がマッチしていたことで、普段涙を流すことがほぼない、感情があることすら疑わしい自分の目から涙が出ていた。そして今回の旅でもこの曲が車の中で流れ「あの時、お前なぜか泣いてたよな」という話になった。35歳(当時)になった今でも、この曲をきいて心底感動している自分がいた。たぶんこの曲はおそらく一生好きだし、ジジイになっても、死ぬ直前でも、彼らに会えばこの曲が流れるだろうなと思った。

hiroshi ujiietravel